今の中国語の先生は西安の方。
大学で日本語も勉強していた方で、明るいエネルギー溢れる先生。
話をしていると元気になる。
今日は先生が日本語を勉強しようと思ったきっかけを教えてくれた。
先生の家は、お兄さんには教育には熱心だが、先生にはそうでもなく、お兄さんには勉強勉強!言っていたけど、先生には「いい、いい、女の子だし勉強しなくてもいいよ。」という感じで先生の進学には消極的だったそう。
そんな先生は高校生の夏休み、知り合いの紹介で初めて西安から都会に出て、2か月間だけ企業で研修を体験した。
人事部のアシスタントとして簡単な補助の仕事をしていた先生。その会社には日本人社員も何人かいて、日本語のできるスタッフが秘書として働いていた。
ある日、日本人社員が急に車で出かけなければならなくなった。でもその時は事務所に先生しかいない。その時は日本語も英語もできなかった先生。一生懸命日本人が話しかけて説明してくれるけど、全くわからない。焦った日本人は英語と日本語で文を書いて、先生に渡した。その中に「車」という漢字を見つけた先生。中国語の「CAR」は「車」とは書かないのだけど、先生は小さいころから中国将棋で遊んでいて、その中に「車」という駒があり、「車」は「car」の意味だと知っていた。そこで、日本人に、「車」で出かけたいんですね?と中国語で言った(日本人は聞き取りはできる)。それを聞いて日本人もそうそう!!と大喜び。先生も通じて大喜び。
その後その日本人は、会社の中で出会っても「おーい!」と手を振ってくれるようになった。
2か月の実習でもらった給料はお母さんの一年の給料よりも多い金額で、先生は自分の高校1年の学費と生活費を稼ぐことができた。
日本語の通じた嬉しさと、自分で動いて努力すれば新しい世界を見ることができる、という経験から、進路決定の時に「日本語専攻」と書いて提出し、故郷を出て北の大学で日本語を勉強したのだそう。
先生が高校生の時に出会った日本人、その人の対応のおかげで先生は日本語に興味を持ち、異なる言語を持つ人とコミュニケーションが取れる嬉しさを知った。
その人はきっと覚えてないし、自分の存在がその子の人生に大きな影響を与えているのも知らないだろう。
そういう事の積み重ねで世の中はできている。そういう少しのきっかけエピソードを繋げてストーリーにしている映画が見たい。すでにありそうだけど。