時間がある

今、時間があるからみんな政治に対する発言ができているんだろう。忙しかったら、そんな余裕はない。仕事して残業して風呂入ってご飯食べて寝るだけだ。

 今まで、わざと忙しくさせていたのかもしれない。長く働かないと食べていけないようにして、目の前の生活でいっぱいいっぱいにさせていたのかもしれない。

 政府は本当は早く、以前と同じく、自分の持ち時間いっぱい働かないといけない状態に戻したいのかもしれない。

 

 私は昔、20歳くらいの頃、20年くらい前はテレビを見ながら、与党の政策になんでも難癖をつけ、邪魔をする野党という風に思っていた。この人たち(与党)の言うことも一理あるんだから、一回その通りにさせてみたらいいのに、なんでこんなになんでも感情的に反対するんだろう。と、思っていた。

 短大を出て働き始めてから、改めて大学に行って、そこで「批判的に物事を見なさい」と教わった。「批判??」はっきり言葉に出してそんな風に他人から言われたのは初めてだった。いや、短大時代にも言われていたかもしれないけど、私には届いていなかった。

ディベートもしたことが無かったので、相手の意見に対して批判するという経験がなかった。今でも苦手。でも、今は批判が悪いと思っていない。それは大人になってから行った大学の経験が大きい。

 相手に対してはっきりと批判する、意見を述べる、その様子はともすると弱いものいじめに見える。国会で野党議員が大臣に質問する。その様子は批判へ免疫のない人には一見一方的な罵りにも見える。私も昔はそう感じていた。大きな声、きつい口調は慣れてないと怖い。でもそうじゃない。自分の意見を伝えている。小さなころから、批判すること、意見を伝えること、批判されること、意見を伝えられることに慣れることが必要だと今は思う。

 そうは言っても、反対意見を大きな声で相手に一方的に感情的に伝えている場面はやはり苦手。相手が弱そうであればあるほど。これは自然な反応なんじゃないの。言われている側に感情移入してしまう。自分と同じ意見であっても、あまりに一方的だと可愛そうになる。この感情を利用される、ということもあるんだろう。