怒りの方法 (岩波新書)引き続き、怒る人たち。

私が身内から権力者に対してまで怒れるようになったのは、自分の中に私なりの確固たる基準が年と共にできてきたからだろう。他者に対して怒れるためには、正しいこと、良いこと、美しいこと、公平なこと、合理的なことなどについて、価値観や基準が自分の中になければならない。(略)私はこう思う、という基準が体験のなかで一つずつ積みあげられてきて、初めて怒ることができるようになる。この基準があいまいだったり、確信がもてないと、怒りを感じても「ひょっとしたら自分の方が間違っているのかもしれない」と怖気づいて、その怒りを率直に他者に表現できなくなる。

自分の基準に確信を持つためには、また確信を支えるためには何が必要か?

失敗や肯定も含めて、他者から肯定された経験が、怒る上では必要なのだ。

一人では無理なんだな。