最近見たビデオとか

路上のペット達

『僕の好きな先生』と『フライドグリーントマト』と『東京ゴッドファーザーズ』(アニメ)。いや〜ん、こんなことしてる場合じゃないのに。『僕の・・・』はドキュメンタリー。フランスの田舎の小さな小学校の日常。この先生が「夜回り先生」に重なってしょうがなかったよ、風貌も喋り方も。先生の私生活がまったく描かれてなくて(途中少しだけ生い立ちを話していたけど)見ている側にとってもずっと「先生」という存在だった。(ここもメディアに出るときの夜回り氏っぽいね)子ども達が家で宿題をしている映像が出てきて、それぞれの家庭の違いが出ていて面白い。カメラが有るからってのもあるだろうけど、親族が集まって子どもの宿題にあーだこーだケチをつけているシーンに笑った。(すげー迫力のおじさん。宮崎アニメによく出て来る労働者といった感じの)。そしてモンゴロイドの女の子マリーちゃんがとても可愛い。
『フライド・・・』は、昔一度見ていたけれど批判されていたため再度鑑賞。ちなみに原作ではレズビアンカップルの設定なのに、映画ではそこが薄められているそう。(レズビアンってなに?と囁いていた女の子が居たのにびっくりした。)
舞台は1930年代のアラバマ。黒人の召使の存在があって初めて成り立っている世界なのに、そこには焦点がまったくあたっていない。それなのに「あの良き時代・・・」といったノスタルジー溢れる視点だけで振り返って良いのか?とH師。なるほど。『風と共に去りぬ』を見て感じた違和感と同じもの。それに関連して『東京・・・』を思い出す。主人公はホームレスの三人組(競輪に入れ込んだおじさんと、元ゲイバーの歌手と家出娘)で、他の登場人物も捨てられた赤ん坊、暴力団外国人労働者など。作品解説には、

今 敏監督が選んだ新作の題材は、“ホームレス”だ。アニメは、宇宙、超能力、魔法と、日常から飛躍したものを描くことが多い。対する“ホームレス”は都会に暮らす者には日常的な存在。そして、社会に捨てられ、すべてを失いゼロになってしまった人たちで、アニメ向きとは言いがたい。だが、今 敏監督のアニメーション・マジックは、ホームレス3人組を温かくて輝く存在へと変えていく。(略)ホームレスが何もないゼロの存在だからこそ、“幸運”を見つけられるという逆転の発想が、この映画を支えている。そして、今 敏監督の卓越した映像テクニックが、この発想に根拠とパワーを与える。現実そっくりに、汚れた部分まで細かく描かれた東京の風景の中で、哀愁に満ちたホームレス3人組がエネルギッシュに動いて“幸運”を見つけていくことで、驚きが生まれる。http://www.sonypictures.jp/archive/movie/worldcinema/tgf/

とありますが・・・。「現実そっくりに汚れた部分まで細かく描かれている都市が卓越した映像テクニック」で、「ホームレスは都会に暮らすものには日常的な存在」だと言っているのに、なぜ「ホームレスが何もないゼロの存在だからこそ幸運を見つけられるという逆転の発想が映画を支えている」などと言うのかしら。そこだけ逆転?日常見ているからこそ、現実をきちんと描いてあった方がずっと見ごたえのある作品になったと思うんだけど。「ゼロだから幸運を見つけられる」というテーマが描きたかったのならば、もっと他にも設定が考えられたはずずなのに、あえてこの設定なのだから。チラリチラリと現実問題にも触れてあるけれど、見終わって非常に軽い印象しか残らない(偶然とか幸運とか云々のメインテーマに対しても)のは、ここがちゃんと描かれていないからなんじゃないの?逆転しているからじゃないの?