どうして面白くないと思ったのか。

十年ぶりくらいに訪れた町。

高台から見ると、ずーーーっと黒い瓦屋根が続いている。
その光景は他のどこにも無い。
しっとりした風景、町並みをゆっくりと歩きたい。
短い休み、あわただしい日常から開放されて、優しい人々や素朴な歌、文化に癒されたい。
誰もがそう考える。


町の人には素朴であって欲しい。純粋な心でいて欲しい。
俗っぽいものが見えるとがっかりする。
人の多さにがっかりする。
誰もがそう思いながら歩く。
観光客がなるべく入らないように写真を撮る。
素朴で、しっとりとした町の風景を探して、動き出す前の早朝の町を撮る。
「私は休みにこんなに素敵な場所に行ってきました。」という証拠だから、素敵な、楽しそうな写真でなければならない。
新しく作られた道にがっかりする。
多すぎる土産物屋にがっかりする。
民族衣装の下のジーンズにがっかりする。


「本当の家の持ち主はほとんど町の中には住んでいないよ。外から来た人に家を貸して、自分たちは郊外のマンションに住んでるんだよ。」と、聞いてがっかりする。


立ち並ぶバーにがっかりする。大音量のカラオケ、レーザービームのようなネオンの下で歌い踊る少数民族の衣装の歌手にがっかりする。


この女性は少数民族としても認められていない、人々。
この人々を説明する(女系社会、等)看板の奥で民族衣装で織物を織っている。


独自の文化を持った少数民族も観光の目玉。
各地の村から集められたという彼らの、一日四回、約一時間半のショーを見る。

「我ら○○族!私たちは標準語はうまくないけれども、一生懸命演じる!」
「我ら○○族!俺たちは酒には強いぞ!」
「我ら○○族!我々は土地の神と共に生きる!」
「我ら○○族! ・・・・・   。」
キャー!!カッコいい!!
あの前の人かっこよくない?
町にやたらと長髪で、ピアスで、ちゃらちゃらして暇そうな、素行の悪いイメージの若者が多いなぁと思ってたけど、きっとこの俳優さんたちだったんだよね!
ねー。
あ、手を振ってくれた、カッコイイー!!
大学に行かずに近くの村々に残っていた若者たちが集められたんだって。

雨が降ってもショーは開催される。雨具が配られる。
見た後は、その雨具はその場において返す。
出演者が総出でそれを片付ける。
次のショーに間に合うように急がないといけない。マイクで監督らしき人が怒鳴る。「早く片付けろ!急がないと間に合わんぞ!!」

空港でであった人は、別のところで見た「印象」シリーズの出来がすばらしくて、期待して見た今回のこのショーにはがっかりしたんだという。


今なお残る独特の文化は格好のアイテム。様々に加工される。

受け入れる側の体力が無いうちに、意思決定する時間も無いうちに、外から急に押し寄せてきたから?
そしてどうして私はかってに面白くないと思うのか。何を期待していたか。それとどう違ったか?
なぜ違うか。なぜ違うとがっかりするのか。


こういうイメージで行って、


で、こういうのを目にする。
好きなんだよ、こういうの。楽しそうだし。歌だし。他の街で見かけたらすごい!面白い!と思ってるだろう。
でも、この場所が、ここの人が好んでこうなっているのかなぁ。
これもこのままもっと時間がたてばそれなりに味のある、受け入れられたものになるのかもしれないけれども、
でもなぁ・・・。



http://japanese.dbw.cn/system/2009/04/13/000124640.shtml  
「印象」も第四弾だそうだ。
この「印象」シリーズには、興味がある。もう少し調べてみたい。



世界遺産と地域振興―中国雲南省・麗江にくらす

世界遺産と地域振興―中国雲南省・麗江にくらす


「これは酷い!人が多すぎる!観光地化しすぎ!イメージと違った!昔と違う!早く帰ろう!」

と、言い合ったり、ユネスコに批判されていると聞いて

「やっぱりね!」

とニヤリとしたりした。

そいういう態度に

「外から来て数日チラリと滞在しただけ、その土地で生活しているわけではないのに、何様か!」

と批判する自分も当然いる。

結局私はそのどちらにも徹しきれず、

「自分の心情についてだけは、あれこれいう権利があるだろう。だって私の気持ちなのだもの。」

と、

「そのとき私は確かにこう思ったんです。」

という自分の気持ちについての範囲にだけ、自信を持ってあれこれものを言う。

「自分が現実に感じた」、というものしか「頼るものが無い」「確かなものがない」ような、不安定さ。