解体、新築


母の実家が新築されるにあたって近々取り壊されるらしい。新しい家を建てるという話を聞いてからは人の家の話なのにワクワク♪していたのだけど、いざ解体が近いと聞くと急にいろんなことを思い出す。
住んでいたわけではなかったけれど、とてもとても愛着のある家だった。小さい頃から何度も足を運んで「わたり(地名)に行く」といえばあの家のことをさしていた(今もだけど)。弟、妹が産まれる時にはあの家で祖父、祖母、叔父、叔母に世話になって数日を過ごした。
母が小さかった頃の柱の背比べの跡、従姉妹達の成長や歴代の番犬。母と喧嘩をして歩いて尋ねていったのはあの家で、叔母と叔父のいつもと同じ明るい出迎えに泣けてきたことも。蒔で炊くお風呂のぬくもりや、外にあるちょっと怖いトイレやそこに張ってある古いシールや、土曜や日曜の昼時にお邪魔して食べさせてもらった「出前一丁(豚肉入り)」の美味しさや、仏壇の線香の匂いや、壁掛け時計の音や、天井の梁のシミ、額の中の魚拓、イグサの匂い、機械の音、祖父の威厳、急な二つの階段、手作りのベランダからの風景、夏の祭りの音、振舞われるスイカの味、正月のお年玉、戸締りのときのガラス戸と雨戸を閉める音、ざらざらの土壁、魅力的な屋根裏の物置、祖父に入れてもらう玉露の苦さ、ひんやりした土間、靴がいっぱいの上がり口、日めくりカレンダー、玄関の黒電話、クリーニング店、外の手洗い場の冷たさ、正月の昔話、そして帰るときいつも外まで見送ってくれる人々。
母が子供だった時代には新しかった家もめいっぱい役割を果たして終わりを迎え、そして新しい家もこうやってまた一つ一つ歴史を刻んでいくのだなぁ。なんだかしみじみする。そりゃあ私だってもう30歳になるよな。
「バイナラーイ!(一部の人にしかわからない別れの挨拶w)」