評論って何の為の作業なんだろうかと。
その作品(文学でも音楽でも映画でも)の持つメッセージは何なのか、何を伝える目的で作られたのか、あの場面の比喩にはどういう意味が込められているのか。作者はその全ての答えを握っていて、作者がそう答えればそれが答えだ。もしも製作者が既にこの世にいなくて尋ねることができない場合、本当に意図された意味というのはもう誰にも知ることは出来ない。作者の手を離れた作品が受け手にどのように理解されているのか。受け取る人間が違えば作品への印象も変わる。作品そのものが元々持っていた意味を推測するよりも、その感想の違いを解説するのが評論なのかな。それとも自分が今立っている地点を「自覚」して、自分の感性、嗜好、歴史を尺にして作品を推測するのかな。ってことを万葉集の講義を聞いていると思いますよ。ああレポート書かないといけないのに、ノート見ても何のことが書いてあるのかさっぱり分かりませんよ。ひゃ〜困った困った現実逃避。