塩焼さんまと、大根と豚肉の煮ものと、金山寺味噌乗せきゅうりは私。具沢山味噌汁と、とろろご飯はきのこさん。持ち寄って食べる、むしゃむしゃむしゃ。ああ、秋の食卓。体育の日は雨。
『マインド・タイム』「自分が何かをしようと意識するよりも前に脳の活動の方が先に始まっている。」らしい。「感覚が脳で「知覚」されるのには時間がかかるにもかかわらず、その遅れをさかのぼり、補うメカニズムを脳が備えている。」らしい。
『沖縄文学という企て』やっと読み終えた。印象に残った箇所。

「日本語」「沖縄方言」「ウチナーグチ」「沖縄語」といった多様な呼称を混在させているこの詩においては、むしろ、沖縄方言という認識がその前提として固定化する、「日本語」の対比軸として設定され、その周縁性によって地方色という範疇に閉じ込めようとする「沖縄方言」という枠組みそのものを覆すような企てをもそこに読み取ることも出来るように思えるのだ。この「弾を浴びた島」という詩が読み手に突きつけてくるのは、日本語―沖縄方言という二項対立的な言語認識の閉塞への問なのであり、そしてその問の中から、「日本語」と「沖縄方言」、その双方に対して帰属し、収斂することの無い転移の可能性が喚起されてくるはずである。p.97