ドーナツ状の街

久しぶりに学校。久しぶりに王さん。今日は彼女の家(伊寧)の話を聞く。ふむぅ。その後Uちゃんの実験室(相変わらずくさい)に、お邪魔して蝿を見る。図書館行って帰宅後、一緒に沖縄に行ったみかん娘と再び先日のNHKを見る。途中でちびこsから電話。その後母から電話、地元の選挙の話などもろもろ。さすがに今夜は先輩の原稿チェックに手をつけないといけないのだが、受けるんじゃなかったなぁ…。
行ってきたから。あの海を見ながらあの浜に座ってあの三線の音を聞いたから、あの人達はこの瞬間にもあの浜のあの場所にああやって座っているのだろうなと想像することが出来る。オーナーHさんのほぼ編集無しの山羊ビデオはなんだかそれに近い。行ってないけど、立ち会っていないけれど、準備も移動もほぼ同じだけの時間を割いて見ている人達に再現していて、まるで一緒に行って来たかのよう。あそこまで撮ったなら最後の学生代表の感想まで記録して欲しかったね、って皆で笑う。それだけ時間をかけてラストは「食べ物は大切にしましょう。」(笑)。
え〜っと、ここだけの話、今まで「活動家」と呼ばれる人達のことがよくわからなかったの。まず、なんでそんな特別な呼ばれ方をするの?ボランティアをしている人達が「活動家」ではなさそうなのはわかる。では何が「活動家」なの?理想の思想に基づいて、現在の体制に反対の声を上げたり行動したりしている人達の事をそう呼ぶのか。動いている人のことを?そう呼ばれる人達がいたとして、ではその人達の目的はなんなのか。あの問題も、この問題も、全てにつて活動しているのか?と疑問だったのだ。それが、それぞれ自分のフィールドを持って動いている人達が、共感しあったり、勉強しあっているのだなぁ、ということが少しわかった。だから同じような知り合いや友達との繋がりがあっても共感できないものには参加しないということも当然あるのだろう。今回、目の前で知り合いの知り合いとかがどんどん繋がる様を見た。これ大学関係者とか、研究者とか、著述業の人とか以外にも繋がっていけば面白いな。いや、実際は繋がっているのだが、それに自覚的、意識的ではないということか。

「さいわい大阪には大正がある」とか、「緊急帰国(?)」とか、「ぼられてアジアの市場を思い出した」とか、私自身も「行ってなかったら半分も実感がない」とか、けっこうヒヤヒヤもんのコメントを書いているのでは?きちんとしたレポートや原稿ではないからついポロリと出てくる本音。