親分

「趙博」と「ふちがみとふなと」の歌を聴きに行った。ヨイトマケの歌に涙。自分の母親を思い出して。お客さん達があちこちでグスグスと泣いている。他の人も育ててくれた母を思って泣いてるのかなぁと考えて、さらに涙。人の数だけそういう人と思いでがある。愛なのだ。「ふちがみとふなと」の歌の中の「晩御飯なんにしよう・・・」というフレーズの繰り返しに涙。近所の風景を思い出して。晴れた日の夕方、寮に帰る時間帯の町は、人々が外に出ている。下校する子供や、中高校生、見守る大人、夕涼みの老人、夕刊配達、スーパーへの買い物、保育園へのお迎え、犬の散歩・・・。
バラバラの人がそれぞれ日常の小さな目的を行なっている。こちらに来て故郷との違いを感じたのはこんな風に町に人の姿が多いこと。田舎の外出は車になってしまっているから人影は少ない。歌を聴きながら、こういう近くの小さな幸せに感動して、それを表現しても良いんだなぁと思った。なんか大きな問題を、人と違う視点で話をしないといけない気分になって焦りがちなので。ほろ酔いだったので余計に涙もろくなってました。そこで隣の席になった夫婦と世間話をしていたきのこさん。出身地清水市の話になり「で、次郎長は最近清水でどうなの?」と尋ねられ、「え?うぅ・・・次郎長通り商店街があります。」と、しどろもどろ。「次郎長最近どうなのって言われてもなぁ〜。」と後から笑った。
こうやって過去の思い出に、今説明文をつける。必要があるので。いつでも、何度でも書き換え可能の説明を。