私の実家の辺りには諷誦(ふじ)という供養の風習がある。(何処でもあるのかな?)これは去年の春の彼岸から今年の彼岸までの一年間の間に亡くなった人が出た家が対象。各家の親族達が寺に一同に会し、揃ってお経を上げてもらうのだ。その時にお布施をいくらか払うのだが、胡散臭いのはそのお布施の金額を「○○家ニ万本〜、○○家三万本〜」と和尚さんが読みあげるところ。本堂に入りきらないくらいの人々が集まるのだけどその場でお布施の額を発表するって、これ何なんでしょう。この時期は気候が良くなって葬式が少なくなるから、昔この辺りの寺が相談してこういう習慣を始めた…坊さんの金儲け、ってヒソヒソいわれてますが続いています。と、いうことで現在実家。昨日奈良の風景をのどかだと思ったが、うちの家の周りもたいして変わらんかった。
春休み平日雨の朝。物の配置場所とか、新しい家電とか、家の中の様子が知らないうちに変わっていて、印鑑一つ探すにも時間がかかる。猫と遊び、兎をからかい、犬を呼び、ゴミを出し、コーヒーを入れ、新聞を読む。顔も洗わず頭もボンヤリ。何もかも全開で休息モード。甘ったれたこの時間が一生続いてもおかしくない気になってくる、ああ…このまま死んでいくのも有りなのかも。家人は皆仕事。外の世界って今もある?これってに、にーとの気持ち?