雪のセントラルパーク

前の席で乗り物酔いをした子供の泣き声とウエェ〜っと吐く音が聞こえる・・・おお、やめてくれよ僕・・・と自分も冷や汗を流しながら最悪の事態に備えて口元に袋を準備する。あと3分、あと2分と頭の中でカウントしながらやっとの思いで到着した空港、気分は最悪。そして窓の外に目をやるとそこに見えるのは、オレンジ色の電灯に照らされた吹雪の滑走路だった。ううぅ・・・ついたのね・・・ニューヨーク・・・。
いやいやいや、遊んできました。学校でお世話になっているエス顧問が研修をされていて、そこに甘えて出かけてしまいました。10年ぶりのアメリカ、しかもニューヨーク。行って良かった。
ちびこちゃんと桃子ちゃんという女の子友達2人と一緒に出かけました。実はちょっと不安だったんだよね。普段仲の良い人とでも、複数で行く旅行はツアーじゃないと少し大変。フリーの旅行を楽しもうと思ったら時間がたっぷりあるか、相当きっちり計画を立ててから行かないと雰囲気が悪くなるのは目に見えてます。だから、今回先生が忙しい中、予想以上にサポートしてくれて、朝から晩まで連れて歩いてくれたのが本当に助かった。おかげでハーレム、チャイナタウン、ソーホー、フェリー遊覧、美術館、ブロードウェーなどなどなど、予定以上に多くの場所を短時間で巡って話を聞くことが出来ました。これからそこで感じたことをパラパラと書いていくことにしましょう。しかし味がある先生だ。煮込むと美味しいダシがとれるでしょう、灰汁と共に(笑)。自分が十年くらい経って、もう少し大人になったときにあんな風な大人になっていたら良いのになぁ。大ファン。ほんとうにありがとう。

ニューヨークに来る多くの観光客は、「世界文化の中心」を見に来るのかもしれないが、その後でただそれを追認して帰ることは、この街の民衆史という観点からするとあまりに悲しい。何とか、都市を感受する想像力として、現前する建造物の下にどのような層が眠っているか、あるいはいまだに目覚める可能性を持って仮眠しているか、という不可視の領域を透視する眼を開発することは出来ないものだろうか?(高祖岩三郎) 

にゃふん。確か試問でもこんなこと言われた。設備に感動しているだけだって。その中の問題点を見ないとダメなんだって。

と、思い出に浸ってぼやぼやしていたら、カウンターパンチを食らう。今日は専門学校での演習が講評される日。もうその演習(外国人生徒に授業をする姿をビデオ撮影)から一ヶ月以上が経っており内容も忘れかけた頃に、厳しいお言葉を頂戴する。教える側が内容を理解していない。教案になっていない。このままでは困る、生徒への指示語が不用意、などなど。ごもっともです。テレビに映る自分の姿なんて直視できないし。しかし調子の良いときの私は打たれ弱いが立ち直りが早い。今日も「このまま続けて形になるのか?もう実家に帰って結婚なんかでもした方が良いのではないのだろうか・・・。」といったん考えて、「うん。まぁ今回は確かにいかんかった。テキトーすぎ。教案も二時間くらいで考えたし。だから出来ないのは当然。言われて当然。次回がんばればよい。」と復活。