鴨長明

万葉集の影響から最近少しずつ古典が面白くなってきている。歳を取って自分の過去が増える分更に遠い過去を想像する力がつくのかもね。ああ、でも若い人でも古典好きは沢山いるからな。興味を引く取っ掛かりがあるかどうかかな。
今日は鴨長明「無名抄」からのお話し。鴨長明が最近の和歌の風情のなさについて嘆き、古典に帰るべきだ!と主張している部分がある。この人鎌倉時代初期の人。かなり昔。そのかなり昔の人が、もっと昔に戻るべき!と言っている。そんな単純なことで面白い。というか、そういう面白さしか解らないんだが。
花を雲に例えたり、月を氷に似せたり、紅葉を錦と見立てたりすることに趣があったのだけど、今ではそうやって何かを外の物に見立てる表現ってのが言い尽くされちゃってる。だから人々は雲や氷や錦の更に珍しいちょっとした差なんかを探そうとしてるけど、そうやって何かないか、何かないかって考えて見つけたものには風情なんか無い。趣ですらそうなのに言葉での表現と来たら、上の五七五を言ったら下の句が想像できちゃうくらいにパターン化されてる。歌の姿がその時代その時代で読み古されてる事を知ってこそ古典の幽玄な姿を学ぶ事が出来る。しかし、このような生き方を、中古の流れを学ぶ輩はバカにし、あざけるのだ・・・こんなようなことを読んだ(違うかも)