ナンデ2

なんだか気にかかるから、もう少し。
以下、http://www.rui.jp/ruinet.php3から抜粋。
こちらは会社概要http://www.rui.ne.jp/index.html

例えばLinuxは、OS=基本ソフトの中身をネット上に公開した事によって、それを使った様々な追加や改良が可能になり、研究者から学生までが幅広く参加して今やWindowsを凌ぐまでに進化してきた。同じ様に万人を導く統合理論も、志ある人々の協働によって、進化しつづけてゆくべきものであり、その為にはこの統合理論はあらゆるイデオロギーから脱却し、確かな事実だけに立脚した科学的な理論体系でなければならない。

規範によって性の相手を定めていた本源集団が解体されてしまうと、性は無政府的な性闘争(男の抜け駆けと女の選択)に委ねられてしまう。これを秩序化したのが、私婚制度(一夫一婦や一夫多妻)である。性闘争⇒私婚制のもとでは、自分たちの住居や食物などの私有要求が強くなり、当然の如く、私有権が共認されてゆく。

やがて国家に集積された巨大な富を原資として、とりわけその富を消費する宮廷サロン=性市場を彩る為の金・銀・宝石・毛皮・絹織物・胡椒等の交易市場が生まれ、その後、近世(ルネッサンス)、「恋愛至上」に導かれて、性市場が都市全域に広がるのに応じて、商品市場が急拡大していった。この、性の自由→性市場→商品市場の拡大の流れは、近世から近代を貫いて現代に至るまで、全く変わっていない。こうして、市場は世界中に拡まり、先進国の人々は豊かさを手に入れると同時に、環境を破壊し、肉体を破壊し、精神を破壊し続けてきた。

現在、社会科学と称されているモノは、究極の所、ドグマを固める為のニセ科学に過ぎない。自由、個人、権利、市場原理等、学者やマスコミが拠って立つ根本の概念は、どれを取っても、それが生物史上あるいは人類史上の基底事実であると言える様な根拠が全くない、単に「そう思っていたほうが、都合が良い」というだけの欺瞞観念であり、とうてい科学と呼べるような代物ではない。

***
性闘争、共認、などがキーワードのよう。今人々が信じている科学と、ここで求められている科学的理論体系との違いは何なんだ。なんだかおかしいことを言っているのではなかろうかと思いつつ、知識も論も無いので反論できない。きっと近づかないようにするのが賢明。「いい女とは?」というお題がお客に質問された回数で上位になってるらしいけど、http://www.rui.jp/ruinet.php3 お店の人に薦められるからではないでしょうか。人々に「女は充足存在」というのを認めさせることが大切なのでしょう。
***
葬式で親戚が集まったときにテレビで田島陽子を見て「こんな人がいるから世の中おかしくなるんだよ!」と言っていた従兄弟の嫁と力強く頷いていた中学生の息子。あなた達は時代を先取りした感性をしているのかもしれませんな。

とりあえず、斎藤貴著『カルト資本主義』、ドミティーラ/M・ヴィーゼル『私にも話させて』、落合恵美子『21世紀家族へ』を斜め読み。