武道の先生

学校裏門の警備小屋の裏にある石碑。前から気になっていたのだが、今日警備のおじさんに聞いてみた。「ん〜、昔武道の強い先生がいて、その人が闇討ちにあって、そのお弟子さんが建てたらしいよ・・・。昔新聞に載ってたなぁ・・・。」や、闇討ち!?新聞の切抜きを見せてもらった所によると、お茶屋がヤクザ対策に雇ったのが、源氏の流れをくむ美男子の浪人。詩歌もたしなむ剣術の先生で名前を初瀬徳太郎といった。しかしこの先生、ヤクザに妬まれ(女にもてるから)闇討ちに遭い、死んでしまったんだそう。そこで弟子達が天保6年、先生の得をしのんで石碑を建てたということらしいです。ふ〜ん。天保6年っていうと1835年。オオ、169年前!!美男の剣士か。こんど良縁を頼むかな。
***
それにしても昔の堺は面白いところだったみたいだな。「戎島は、大小路の西当津(堺)に於いて諸国の運艦(くわいせん)着岸の湊也。此ゆえに昼夜の賑い、茶屋、鮮食店(料理屋)あるひは戯女(たわれめ)の家多くありて、絃曲(げんきょく)の音、酣歌の声たへず」と「和泉名所図会」に書いてあるそうだ。にぎわっていたんだな。どこ行っちゃったんだろうなぁ。初瀬徳太郎の辞世の歌
「むなしくも 夢のうき世に念あきて 元のみたまにかへる一心」