人工議論の場

天王寺で。ニュースでやっていた「道端でお題を選んで周囲を巻き込んで議論をかわすやつ」に遭遇。質問を選ぶとそれの答えを云々言ってくるので、反論があればする。U氏が興味を示して参加したので口を挟みつつ見ていた。
その時のお題は「いい女とは」。まずこのテーマから反感を持ったんだけど、その答えってのが「男を奮い立たせることの出来る癒し系の女。」だそう。それだけ理屈をこねて結局たどり着くのが「癒し系」かい。
しかしあれをやっている人達は月に一回くらい皆で集まって統一見解を作っているらしいよ。で、その統一見解を作る場では喧々諤々の議論が交わされるらしい。
二、三日このことを思い出しては、もやもやしていたが(あ〜、こう言えば良かったとか思う)冷静になって考えると、意義もあるのかもと思う。まず、会ったばかりの他人同士だから、遠慮なく反対意見が言える。これだけでも普段の日常生活ではなかなか体験できないことなんではないだろうか。相手が出してくる結論は今世間で言われている一般の意見であるから、それに反論するってことは今の社会の意見について考えるってことだ。集まって統一見解を作ると言っていたのは、この社会側としての意見をきちんと定めようとしているからだ。彼等一人一人は違う意見の人もいるんだろう。彼等は別にこの質問のこの答えで相手を納得させようとしているのではないんだろう。ただこうやって議論の場を作って、社会でなんとなくいわれている答えを与えて、それに対して客が自分で考え、言葉で他人に意見を伝えるのだ。喧嘩ではなく。考えを。時には周囲の聴衆も巻き込んで。ただ惜しいのは、参加人数が少ない場合、その場で相手をいかに言い負かすかという単純な言い争いの場と化してしまうこと。お客と、店と、そしてそれ以外の意見を持った第三者の参加があるととても意義のあるものになると思う。議論もこうやってお金を払ってわざわざ場を設けないと出来ないものになっているんだな。知ってる顔が見えると自分の本音の意見はぶつけにくい。今ここだけの付き合いの人達だからこそ本音をさらせるんだね。
この続きはこちら