新聞

新聞って何を書くの?その時の常識は書くまでもないんだよね。だってあたりまえのことだから取り立てて書く必要もない。記事になるっていうことはその時、何か目新しいこと、何か特徴のあること、記者が記事になると思ったことが書かれているのだよね。と、いうことは、自分がリアルタイムで体験していないときの新聞を見ても、その記事がその当時の人達にあたりまえの常識として受け止められていたとは限らないということだよね・・・。
なんでこんなことを言うかっていうと〜、授業の課題で1960年代の新聞を読んでくるようにいわれたからなんだね。図書館でちょろっと目を通してみた。当時目新しかったけれどその後には定着していないことも当然画期的なこととして記事になっている。観覧車型の駐車場とか。今その当時のことをイメージすると、そのときに生きていた人達は現在私が想像しているようなステレオタイプな60年代の価値観のなかで満足して疑問を持たずに生きていたような気がする(反体制の意見も含めて)。でも、実はそうではないんだな。それらはとりあげられるべきニュースだったんだ。だから、新聞には今伝えられている当時の大きな事件から私が想像する「60年代のイメージ」を裏切る意見も沢山載っている。例えば環境を破壊するなとか、団地に住んでいる人々がみんな同じ物を買い、同じ価値観を持つのはおかしいとか。それが結構意外だった。そのニュースを見た後、人々の考え方が変わっていく。だから記事そのものよりも記事のサブタイトルとか、広告のコピーとか、評論家の意見の方に当時の人々(を代表する記者)の意見が反映されている気がしたよん。