電車の中で

耳の聞こえない若いお母さんと、小学校低学年くらいの息子二人。お母さんとの意思疎通は手話で、子供たちの耳は聞こえるのでお互い普通に会話する。で、なにやらケンカを始めた二人。お兄ちゃんの方が弟のことをお母さんに伝える。それを見た弟が「うるさい!だまれ!喋るな!」と、言っていた。お兄ちゃんは手話でお母さんに伝えていたので音はまったく出てないんだけど、やっぱりそういう時は「うるさい。」になるんだなぁ。
で、それとは別にもう一件。電車の中に西洋人の若者達が四人乗っていた。車内は人が多くって彼等は離れた場所に別々に座っていた。でも、彼等は自分達の部屋のようにでっかい声で会話をする。お互いの間には距離があるんだけど平気で話しかける。それは結構なボリュームよ。でもその声をそんなに迷惑に感じないんだな。他の乗客たちもまぁわかっちゃいるけど、そんなにうるさそうでもない。これは英語だから、意味がストレートに頭に入ってこないからではないか?と思った。話している内容はたわいもないことばっかりで(もちろん私に理解できたのがそういう話題しかなかったということなんだけど。)雑誌を見ながら女優のメイクしてる顔とスッピンを比べてみたり、PCのバージョンアップの話とか、クッキーを食べながらボロボロこぼして「お前はクッキーモンスターか!」って突っ込んでみたり。そんな普通の会話。でもこれ、同じ声のボリュームで日本人に日本語でやられていたらきっととてもうるさく感じるはず。意味が伝わってこない限りは、電車の騒音と同じ扱い。ただの音。
そこで、最初の手話の話と重ねて考えると「うるさい」っていう形容詞はとっても主観的なものなんだなぁと再確認。(まぁ、形容詞はどれでもそうで、あたりまえっちゃぁあたりまえなんだけど・・・。)必ずしも音の大きさだけではなくって、それが自分を不快にさせる原因であるときに使う。「五月蠅い」このあて字がよく現しているよね。日本語で同じ声の大きさで話している場合は、話している人は日本人だと思うから、その内容よりも話をしている日本人の道徳心に対して不快感を持つのだわ。内輪のルールとして。あら、そう考えると、じゃあやっぱり音を立てているのが外人だから不快に思わないってことになる?あれが中国語だったらどうなの?あれが声じゃなくて物音だったら?音そのものの大きさと、理解できる言葉の意味と、人種に対する先入観、と同族意識と、他者意識なんかがごっちゃごちゃになってきたよ。ふぅむ〜。とりあえず、「うるさい」というのはこれですよ、と決めることはなかなかできないなぁということ。にしておく。