言葉

ロマン街道

 中国残留孤児の人達が来日する。新聞に載っている彼等のコメントと、日本国内の反応の温度差がちょっと切ないような。前に中国の汽車の中で向かい合わせになった公安に勤めているおばちゃんは、「実は自分は日本人なんだ、でもそれを証明する書類などは全て戦争で燃えてしまった。しかし自分は日本人なのだ。」と繰り返し話しかけてきた。彼女は私にとてもとても親切だったけど、そこには同じ民族の人間への愛情が込められているような気がした。そのおばちゃんとはその後も連絡を取って家へお邪魔して、優しそうなご主人や賢そうな息子さんも交えてご馳走してもらったりしたけれど、おばちゃんの押しの強さをだんだん私が負担に感じ始め、連絡しなくなって今は音信不通・・・。思い出すとちょっと罪悪感。おばちゃんが来ないかな・・・と思って見る新聞。
 今回来日した人の中にはロシアで育った人もいる。彼女が話しているのをテレビで見て、ロシア語で感激を語っている様子は国語について考えさせられる。二年ほど前に朝鮮族の友達と韓国旅行に行った。彼女達は国籍は中国だけど朝鮮民族なので日常語は朝鮮語。だから韓国でも意思疎通には不自由しないんだけど、やっぱり言葉が違うんだって。韓国は日本みたいに外国の言葉がそのまま入って使われているけど、彼女等の使う言葉は違う。他の韓国人の友達が言うには昔の言葉が残っているんだそう。(その人はそれをからかって怒られていた。)言葉が通じるからきっと旅行を楽しんでいるだろうと思ったけど、数日して段々浮かない顔になり、「日本の方が良いです。」って言いだした。言葉は通じるけど、単語やアクセントの違いで「この人達はなんだか違う。」と相手が気がつく。それを感じるのが嫌なんだそうだ。そういう意味では私は初めからまったくの余所者でそういう部分のストレスは無かった。むしろ片言を話して通じて喜んだりしてた。そんなことを思い出した。