これまで住んだ部屋

これまで住んだ部屋を振り返ってみる。3か月以上住んだ部屋。こうしてみると、私は引っ越しがというか住む場所を変えるのが好き。また、次の部屋を決めて引っ越しをする前、今の場所と次の場所、2か所に自分の部屋がある状態が好き。どちらに帰っても大丈夫という状態が好き。

 

①(鳥取県境港市)

これは生まれ育った実家。18歳まではここにいた。今も時々帰る。両親や兄弟や甥姪や親戚たちもいる私の原点。当時の新興住宅地に家を建てた父。当時30歳くらいだったはず。一戸建てを立てるってすごいなぁ。今は1世代分時が過ぎて、古い子供の少ない街になってしまった。

②(島根県浜田市)

生まれて初めて1人暮らしをしたアパート。母親がメインで不動産屋と相談した。新築で広いワンルームだった。電気コンロとユニットバスだったけど、初めての一人暮らしだからそういうものかと思っていた。家賃は両親が支払ってくれていた。今思えば本当にありがたいことだ。引っ越して最初の日は寂しくて、ガス会社のおばさんが優しく話しかけて来て泣いたのを覚えている。隣の部屋に中国人留学生の張さん。まだ小学生の妹やいとこが遊びに来て泊まっていった事もあった。

③(中国北京市)

留学先の大学の寮。2人部屋。トイレ・シャワー・洗濯機は共同。食事は学生食堂。学費は両親が出してくれていた。本当にありがたいことだ。レンガ造りの雰囲気のある建物。入り口には管理人のおじさんやおばさんがいて門限があった。建物はセントラルヒーティングで温められていて冬も暖かかった。色々な国の学生がいてとても楽しかった。最初は日本人の先輩と。その後は韓国人の留学生と同じ部屋。

④(中国海南島海口市)

留学先を変更して移った大学の寮。一戸建ての家の一人部屋。半分旅行気分での半年間。学費は両親が出してくれていた。ありがたいことだ。日本人、オランダ人、インドネシア人6人での生活。キッチン・トイレ・シャワー・洗濯機は共同。毎日街を歩いていた。夕方シャワーを浴びてから食事を兼ねて散歩に出て、風に吹かれるのがとっても気持ちが良かった。毎日屋台で好きな食材を炒めてもらってビールと一緒に。あの頃の友達はどうしているんだろう。

⑤(中国南寧市)

もう一度大陸に行こうと移った大学の寮。ベトナムに近いのでベトナム人留学人の多い寮。学費は両親が出してくれていた。ありがたいことだ。1人部屋と2人部屋に住んでいた。4階建ての4階の部屋。窓の多い風の通る白い部屋。目の前は魚を養殖している池。新しくは無い建物だけど問題無し。トイレ、シャワーも部屋についている。キッチンは共同だけどあまり使わなかった。メジャーな留学先ではないので日本人は変わった人が多かった。半面ベトナム人は優秀な人が多かった。フランス人、マリ人、タイ人。この時の友達とはまだ連絡を取っている。

⑥(大阪堺市)

日本に帰り、暫く実家に住んで地元で働いた後に大阪の大学に行った時の寮。日本の都会に住むのは初めてで最初はちょっと緊張。あと、大阪ちょっと怖いイメージだったので普通の住宅街を歩く時もちょっと緊張。その辺にやくざがいるのでは?女子寮で一人部屋。ここからは自分で学費を払っている。キッチン・トイレ・風呂・洗濯機は共同。大学までは自転車で行っていた。門限は確か23時。門の周りに防犯センサーがあって、猫が通っても非常ベルが鳴り響く。自治寮なので寮の会議が毎月あったり、掃除当番があったり色んな役があったけど、それも楽しかった。社会人入学の人も多く、その人たちと一緒に住めたのが本当に良い経験だった。世話好きな寮母さんがいて、口うるさいけど安心感もあった。最初に大学に行った時よりも何倍も楽しい数年だった。この時の友達は今も良い友達。大好きな街。

⑦(中国上海市1)

大阪の大学に行っている途中で休学して上海の田舎の大学に1年日本語を教えに行った。論文作成から逃げるようにして行った職場の招待所。新しいきれいな一人部屋。管理人のおばさんが一人。キッチンは無く学生食堂で食事。友達もおらず寂しい半年間だった。叔母さんと犬と学生と職場の同僚との少しの会話。コミュニケーション下手の自分。上海の田舎町を知る。30歳を迎えたのはこの寮で。その時のことをすごく覚えている。

⑧(中国上海市2)

余りに寂しいので、市内の大学に語学留学することにしてその寮に入れてもらった。仕事はそこから通う。一人部屋、韓国人学生の多いクラス。仲間ができて嬉しい。食事は近くの食堂で。韓国料理の食堂が美味しかった。とても仲の良い韓国人の友達ができたのだけど、今連絡は取れていない。サバサバしてユーモアのある子でいつも2人で笑っていた。どうしているのかな…。

⑨(東京都板橋区大山)

大阪に戻り無事学校を修了して、就職で東京へ。大阪に住んでからの東京なので都会にも怯まない!でも初めての一人での物件探しなので勝手がわからなかったけどとりあえず池袋の不動産屋へ。何件か見た中のこれかなぁ…というところに決める。家賃と広さ、あとトイレが別であることで決めたのかな。自転車で池袋にも行け近くにもスーパーがある。駅からは少し歩くけど駅前に大きな商店街があって休みにウロウロするのも楽しかった。友達も遊びに来た。

⑩(東京都葛飾堀切菖蒲園)

転職して職場が遠くなったので引っ越し。アパートの入り口に夏蜜柑の木が植えてあって可愛かったのと角部屋で明るく広かったことで決定。バストイレ別。渋い駅。後半は会社まで自転車で下町を通って通勤。どんどん出来上がるスカイツリーを見ながら出勤していた。震災の日に電車が止まって帰宅できなかった同僚と一緒に歩いて帰ったのもこの家。仲の良い友達もいて、仕事も今思えば楽しく、冬の日差しでぽかぽかした平和な印象の部屋。

⑪(島根県松江市玉湯)

転職して島根で職場の近くに探した家。物件探しにも慣れて来てネットで探したり不動産屋に足を運んだり。よくある大東建託の家。目の前が田んぼで田植えから稲刈りまで作業が見えて季節感があった。カエルがすごいボリュームで鳴く。1LDKで広く一人暮らしだとやや持て余し気味だった。仕事がハードで疲れて帰ってビールを飲んでいた。

⑫(島根県松江市殿町)

もう少し町中に引っ越したいと思って物件を探していたところ、とてもユニークな家を見つけたので決定。古い一戸建てで、家賃も安かった。場所がお城の敷地の中!町中なのにタヌキやキツネやアナグマが出て鳴く。目の前は公園で春には部屋から桜が見える。お城なので武者行列が目の前を通り、隣の隣は団子屋さん。観光客が家の前をぞろぞろ歩くという面白い家。古くてゴキブリが出たり駐車場が狭かったりトイレが狭かったり使いにくい間取りだったり、寒かったり、近所付き合いが面倒だったりと小さな不満は色々あったが、立地が全てを解決していた。私は霊感は無いけど、なんかいる感じがしていた家。

⑬(石川県加賀市)

3か月ほどの施設移動がありその間だけ住んでいたアパート。会社が用意してくれていた寮で古い団地のような部屋。ここに住んでいた間に稀に見る大雪が降り、車が埋まってしまい車検に間に合わずわざわざ臨時のナンバーを取りに市役所に行くという事もあった。部屋の窓からどんどん積もる雪を眺めていた。最小限の物しか持って行かなかったので、人間物が無くても生活できるものだと思った。ここから松江の家に帰った時に物の多さとごちゃごちゃした様子にうわっと自己嫌悪を感じた。

⑭(沖縄県読谷村)

沖縄に転勤になり、探した家。物件を見に行った時に選択肢がここともう一つくらいしかなかった。でも、部屋としては今までで一番気に入っている。対面キッチン、広めのリビング、ガス乾燥機、オートロック。同じアパートに住んでいる管理人さん。ただ、大きな道沿いなので車の音がやや大きいのと、トイレがウォッシュレットじゃない事と、シャワーの勢いがやや弱いのが少し気になると言えば気になるところか。でも、休日には掃除をした後、良い部屋だなーと思いながらくつろぐことができる。会社まで車で15分くらい。