薄い文章の思い出

私は自分の書く文章が好きじゃない。

浅くて薄っぺらい。

良いことを言おうとしている。

どこかで聞いたことのある意見の上澄み。

自分の書くものが独創性のないつまらない物なのは、小学生の時からわかっていた。

本を読むのは好きだったので、自分の好みの文章はわかっていたけど、自分が書くものはそうではなかった。クラスのうまい冗談を言う男子のほうが、私には思いつかない視点の文章を書いていた。

私自身の意見がぐらぐらと定まらないから、文章もはっきりと定まらない。

読んで気持ちよい文章は、立場が定まっていて軽快で聞いたことのないわかりやすい比喩を使う。

国語教育に熱心な先生が担任だった時に、その先生の作文指導がうまかったんだろう、創作意欲が溢れて勝手に作文を書いて提出したことがあった。クラスにおばあさんと暮らす子供から見てもちょっと異質な女の子がいて、その子が仲間外れになりやすく、その子に遊びに誘われた時に行きたく無くて嘘をついて断る自分と、そうする自分の罪悪感について書いた。懺悔だったのかもしれない。

 

小学生の時はリアルを追求する動物好きの子供だった。家には生まれた時から犬と猫がいて、犬はよくどこかの野良犬との子犬を生んでいたし、猫は外で大声で喧嘩をして傷を負って帰ってきていた。父は仕事の関係で一緒に住んでいなかったので、弟妹が生まれるまでは母と動物とで暮らしていた。椋鳩十シートン動物機やファーブル昆虫記が大好きで、人間じゃなくて動物になりたかった。私はなんで人間に生まれたんだろう?と畳に寝転がりながら考えていた。好きな本の中では人間は動物や自然を破壊する悪い奴だった。本物と違うアニメ風の絵が許せなくて、工作で動物のお面を作るときも本物みたいに作りたいから、大人が見たらちょっと引くくらい迫力があって不細工な作品を作り、金髪の女の子のキャラクターの髪をマジックで黒く塗りつぶし、笑われてもそれに満足していた。動物になりたかったから学校の階段を上がるときも、手も床に着けて猫みたいに上っていた。多分1、2年生の時。上級生が見て笑ってたのを覚えているけど、猫みたいに校舎の階段上がるのは、階段の温度を手のひらで感じ、足と手で上るからスピードが出て楽しかった。

本が好きだったから登下校時にも図書室で借りた本を読みながら歩いていた。近所のおじさんから二宮金次郎と呼ばれた。

高校生くらいになって小学生時代を思い出したときに、ちょっと変わった子だったのかな?と思ったけど、みんなそんなもんなんだと思う。

いつから笑われるのが嫌になったのかな。

本が好きだったから小学生の時は何もしなくても成績が良かった。中学に入って勉強しないといけなくなってからは国語以外の成績がだんだん下がって、高校に入ると全く勉強しなかったから国語以外は中と下。意味を持たない物を使って考えることが苦手なんだと気が付いたのもそのころで、文法とか、単純な暗記とか、辞書を引くのも苦手だった。うん、そうだった。

 

ちょっときっかけがあると口から旗を出す手品の万国旗みたいに繋がって思い出すな。

もうやめて寝よう。