駄目という余裕

ラジオで、スガシカオが、「山に登るときにヒールのある靴で来てしまうような女が好きだ」と言っていた。
駄目だなぁ〜って女が好きなんだって。
私だったら、しっかり滑らない運動靴を履いて、天気予報を見ながら荷物の用意をし、友達のお菓子も入った重いリュックを背負い、朝早くからニコニコ山に向かうと思う。
だからそんな女を山で見たら「山をなめんなよ!」と冷やかにみると思うんだけど、でもね、そのスガシカオの気持ちはわからんでもないのだな。
駄目な人って(駄目な振りかもしれないけども)、駄目なことを気に病まない人って、余裕があるように見えるのだよねぇ。
で、そういう余裕は、色気として周囲に伝わることがある。
男でも、女でも。
もし自分の彼氏がこのタイプの女性に手を出されたら、戦わずして負けを認めるだろうな、という女優を想像した時のベスト2が「永作博美」と「吉高由里子」なのですが、
この人たちにある色気がその手のだと思うのですねぇ。
ダメでも平気という余裕というか。
どう思われても平気、というやわらかい強さというか。
男でも女でも、これがある人は、もてるなぁ。
でも、これは「本当はダメではない」ことが必須条件。
この人一見こうだけど、実はすごい、というのが無いとなりたたない。

スガシカオの頭の中でヒールで登山に来た女は、駄目な普通の子ではなくって「駄目だけど好みの美人、駄目だけど頭が良い美人」だったと思う。